まち歩き 歴史

かつては菜の花畑だった @茶屋町

投稿日:2015年4月9日 更新日:

梅田茶屋町って聞くと

屋町って名前を聞くと梅田ロフトが真っ先に思い浮かびますね。ロフトができたのは1990年代で梅田ロフト当時はロフトに行くというのがとってもおしゃれな感じでした。懐かしい。ロフトでおしゃれな物を見た後にロフトの中にあったカプリチョーザでパスタを食べて帰るってデートコースでした。あの頃はたしかナビオの方へ歩いていくと阪急イングスもあったなぁ。懐かしい。
梅田ロフトと毎日放送がやってきて茶屋町が再開発と言われ当時たくさんあった長屋の多くがその時に取り壊された。現在でも一部残っているのは奇跡だが、その後もNU茶屋町やNU茶屋町プラスやMARUZEN&ジュンク堂がはいったビルなどが建ちがらりと変わってしまった。茶屋町の中を通るといろんな碑があり昔のこの地のことを学ぶことができます。
Nu茶屋町プラス前歩道には鶴野茶屋跡の碑があります。この辺りは江戸時代から明治頃まで、茶屋町・鶴野町一面は菜の花の名所だったようで、そこに乃茶屋・萩乃茶屋・車の茶屋という三軒のお茶屋があったそうです。(春以外は何を見に来てたんだろう?)
turuno
鶴野茶屋は豪商であった松並竹塘が二羽の鶴を放し飼いにしたことが由来だそうです。茶屋町と鶴野町の町名の由来にもなっています。

名称:鶴野茶屋跡の碑
〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町8-26 Nu茶屋町プラス前歩道

明治初めまでは一面菜の花畑だった。

都島の毛馬出身の蕪村も
菜の花や月は東に日は西に
とこの辺りで詠ったと言われています。この歌はの句は1774年(安永3年)京都東山での連句の発句だそうですが、どこの景色を思って詠んだのかは諸説あります。神戸の麻耶山かもという説も^^;
与謝蕪村のうた

名称:菜の花句碑
〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町19-1 梅田芸術劇場前広場


その後明治になって西洋のアブラナの輸入や電気の普及により菜種油の需要も減り、菜の花畑は消えその後この辺りは明治中ごろからテーマパークへと変わっていく。

明治22年、旧梅田東小学校あたりに、展望台を持つ八角9階建ての凌雲閣という、当時としては珍しい高層木造住宅が出現。「北野の九階」と呼ばれ、人気を呼びました。
池(ボート)・温泉場・大弓場・料あ理屋で遊ぶ一大レジャーゾーンで、その南には小林遊園地がありました。現在も通りに、それらしい名残をみせています。
引用元:むかしのおはなし

凌雲閣跡の碑

梅田東生涯学習ルーム前


明治の中ごろに凌雲閣というタワーが建って周辺が四季の花が咲く庭園みたいになって、小林佐兵衛(明石屋 万吉)が小林遊園地なるものをつくっています。この当時としてはすごいテーマパークがこの辺りにできたわけですが、何故かどのサイトもこのテーマパークがつぶれた理由を書いていませんね。今現在にたとえるとスカイビルの展望台がそれの代わりになると思います。凌雲閣ができた当時はミナミ(難波)にも眺望閣という5階建ての塔があったのですが、それが現在の阿倍野ハルカスですね。それともミナミとキタの観覧車の背比べか。いつの時代もかわりませんね。
キタの9階 凌雲閣

キタの9階 凌雲閣


大阪の事情はわかりませんが浅草に同じ名前の凌雲閣という12階建ての塔が明治の末期にできました。浅草の凌雲閣の資料では開業時には多数の人々で賑わったが、明治末期には客足が減り、経営難に陥ったそうですが、大阪の2つの塔もそんな感じなのかもしれませんね。意外といってる人少ないし、資料もそんなに多くないのでちょっと不思議です。
その後この茶屋町テーマパークとしてではなく住宅地と工場地として栄えます。昔の阪急の写真など見るとメリヤスの工場などが多かったようです。そして1990年の梅田LOFTの再開発になってまた住宅地から娯楽施設へと変わってきました。
そんな茶屋町・鶴野町ですが、「茶屋町・鶴野町を良くしたい。面白くしたい!」と願い活動する、地元若手住民・店舗経営者・ショップ店長ら有志の集まって鶴乃茶屋倶楽部と言う集まりがこの地域を盛り上げようと頑張ってはります。特にこの地域を一面菜の花畑だった菜の花を始め緑化に力を入れられています。茶屋町を歩くと菜の花が多いのはそういう方々が頑張っているからなんです。
この辺りを昔のように菜の花で覆いたいから、都会でミツバチをとつながり梅田ミツバチプロジェクトの一環になるのですね。
梅田ミツバチプロジェクトに関してはまた別の機会でご紹介を。

名称:凌雲閣跡碑(梅田東生涯学習ルーム前)
〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町2-9

参考サイト:
むかしのおはなし 茶屋町ドットコム
さんぽみち 茶屋町ドットコム
茶屋町 綱敷天神社
キタの九階・凌雲閣 十三のいま昔を歩こう
鶴乃茶屋倶楽部のfacebook
NPO法人 梅田ミツバチプロジェクト

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平井 裕三(管理人)
どんな時でも楽しく人生の達人(Master of Life )を目指し、かまやつひろしの「どうにかなるさ」を口ずさむ40代のおっさん。 個人の活動はMaster of Life』で発信中。上の名前をクリックするとjumpします。

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