歴史

北区の事は新淀川無しには語れない

投稿日:2014年7月30日 更新日:

昔の大阪の川
さんも良くご存知の淀川。しかし今の淀川は明治になって今の場所になったことはご存知ですか?
ネットの検索でなんでも調べられるこのご時勢ですが、十三と中津の間には明治の中頃大洪水がおこるまではは「中津川」と言う川が流れていました。今の淀川の流れになるのは実は明治時代で今までの淀川は都島の毛馬の閘門(こうもん)から現在の大川(おおかわ)、堂島川(どうじまがわ)、安治川(あじがわ)と名前を変えながら海にたどり着きます。
画像の拝借先:治水のあゆみ
もう一つ毛馬の閘門から西に向かっているのが中津川です。中津川で検索すると岐阜県に中津川市がある為に中々引っかかりにくいですが、中津川はたしかにありました。また新淀川ができてからもその横に河口の地域に工業用・農業用の水を流すために毛馬の閘門から新淀川を併行して長柄運河が流れていました。別名中津川運河と言うようです。
今は埋め立てられた長柄運河ですが中津と深い関係があります。それはまたいずれ紹介していきたいです。

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平井 裕三(管理人)
大阪市北区に住む梅田の北の住民。北区内の情報だけでなく、北区民が移動する範囲でみつけた面白いもん、歴史的価値があるものをできる限り調べて発表。元鉄ちゃんなので鉄分も多め。北区発行のフリーペーパーつひまぶの編集にも参加している。

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